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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)1616号 判決 1965年12月06日

控訴人 中村弥平

被控訴人 国

訴訟代理人 古館清吾 外三名

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、当審において訴を変更し、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、福島県岩瀬郡天栄村湯本所在農林省白河営林署経営の国有林白河事業区林班150、149、148、147、151、152、153、に属する土地(面積一、一二七〇・三三ヘクタール)につき、所有権移転登記手続をし、右土地およびその地上の竹木を引渡し、かつ、金四七、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三八年三月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠の関係は、左記のほかは原判決の事実の部に書いてあるとおりである(原判決の事実の部(記録の六〇丁表はじめから五行目)に「乙第四号証の一、二」と書いてあるのは、「乙第四号証の一ないし五」の誤記である。)。

控訴人訴訟代理人は、従前の請求につき、その対象とした土地の範囲を滅縮し、請求の趣旨を改めた、かつ新たに附帯の請求を追加して、その請求原因事実として、および被控訴人の主張に対して、次のとおり述べた。

(一)  福島県岩瀬郡天栄村(合併前は湯本村、以下旧湯本村という)が、明治三七年第一、二五四号官有林下戻の訴につき行政裁判所が昭和一二年一二月一八日に宣告した判決によつて所有権を取得した字小白森一番(小白森の地番は一番だけである)の土地の範囲は、その当事の国有林白河営林署湯本経営営区に属する69、70、71、72、73、74、75、の七箇林班(以下旧林班という)に相当する地域であつて、後に右林班番号は、それぞれ白河営林署白河事業区150、149、148、147、151、152、153、と改ためられた(以下新林班という)。前記行政裁判所判決は、その理由において、旧湯本村大字湯本にあつて古来村山といわれてきた河内山の地域のうち旧字大川崕、萱輪沢、アカニ沢入の地域は、請求地のうち字小白森一番に含まれると認定しているが、そのうち旧字大川崕は新林班の150、149、148、147に、旧字萱輪沢は新林班の184に、旧字アカニ沢入は新林班の147にあたる。また、古来何人も小白森山に属するものとしていて、その一部はすでに右判決にもとついて旧湯本村に引渡されている地域の残りの部分(小白森山のうちほぼ西側の部分)もまた字小白森一番に当然含まれるのであつて、それは新林班の151、152、153にあたる。以上の範囲の地域は、小白森山を中心とし、川、谷、峯通り、古来の道路等天然の地形地物によつて周囲の地域からはつきりと区分されている。この七箇林班に相当する土地が字小白森一番であつて、その面積は一、一二七・三三ヘクタールあり、行政裁判所の判決によつて旧湯本村に下戻され、現在は控訴人の所有に属するのである。控訴人は従来右のほか新林班の143、144、145、146、158、157、156、155、154(それぞれ旧林班の65、66、67、68、79、80、81、82、83にあたる)の地域もまた字小白森一番に含まれ、かつ前記判決主文や国有林野地籍台帳に字小白森一番の地積の表示として記載された二、八八三町六反歩というのは実測の結果による面積であると考えて、そのように主張してきたが、前記事情が明らかになつたので冒頭に説明したとおり訂正する。よつて、控訴人は被控訴人に対し、国有林白河営林署白河事業区林班150、149、148、147、151、152、153にあたる地域について、所有権移転登記手続をし、かつ、土地および地上の竹木を引渡すべきことを求める。

被控訴人は、行政裁判所の判決にもとづきすでに旧湯本村に引渡した地域が字小白森一番であるというが、字小白森一番の東の境界は、本来旧湯本村大字湯本と同村大字田良尾との境界と一致すべきものであるところ、被控訴人は、引渡しに当り、現実に存在する右大字界を超えて大字田良尾に属する土地の部分までも字小白森一番に属するとして不法に旧湯本村に引渡した(すなわち行政裁判所判決が下戻しを命じた部分以外の部分までも引渡した)ため、現在では、かえつて右大字界が引渡しの線まで東に移動したような外形を呈している。また、字小白森一番とは、古来、小白森山一帯の地域を指し、その範囲は、周囲の川や谷等の自然の境界によつて区分されてきたものであるのに、被控訴人が旧湯本村に引渡した地域の境界は、小白森山の山頂や中腹を通り、谷を横切るというきわめて不自然なものになつている。これらの事実から見ても、被控訴人の主張は誤まりであることが明らかである。

(二)  字小白森一番の土地に生育する竹木の所有権は、昭和一七年九月二六日に旧湯本村から浜田章に、昭和二〇年一二月二九日に浜田から金沢敏行に、昭和二四年九月八日に金沢から株式会社東亜鉱業所に、次いで昭和三二年一二月一二日に右会社から控訴人に順次売買によつて移転したものであるところ、被控訴人は、昭和一四年一〇月二九日から昭和三四年一一月二日までの間に別表のとおり、字小白森一番の地上に生育する竹木または右土地の一部をかつてに他に処分し、各処分当時の所有者の所有権を侵害し、同人らに対し処分価格相当の損害を与えた。その結果、竹木の所有者は被控訴人に対し不法行為にもとづく損害賠償請求権を取得したわけであるが、この債権もやはり残りの竹木の所有権とともにさきに述べた経路で転々し、現在では控訴人に帰属し、その債権額は合計四七、三七三、一九三円である。よつて控訴人は被控訴人に対し、不法行為にもとづく損害の賠償として右のうち金四七、〇〇〇、〇〇〇円と、これに対する損害賠償を請求した日の翌日である昭和三八年三月一六日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(三)  控訴人の従来の請求は字小白森一番山林の所有権確認であり、この「山林」の中には地上の竹木も含まれていることは、訴状をよく読めばわかることである。したがつて、控訴人が、今日までの間に一部の竹木の所有権が不法行為にもとづく損害賠償債権に変形していたということを理由として、残竹木の引渡しに合わせて処分された竹木の引渡しに代わる損害賠償請求を附加しても、前後、請求の基礎には変更がない。また、右請求を理由づけるにはすでに終了した証拠調の結果だけでじゆうぶんであるから、右訴の変更によつて訴訟手続が著るしく遅延させられるということもない。したがつて、訴の変更は許されるべきである。

(四)  右に述べたとおり、本訴は当初から字小白森一番の地盤とその地上の竹木とを含む全体の所有権を訴訟の対象としており、訴状および控訴状に貼付した印紙額も、右の所有権の価額に相応したものである。したがつて、竹木等の一部の所有権が損害賠償債権に変形したことに応じて、請求の一部を変更したとしても、そのために訴額に変動を生ずるものではなく、従前の貼用印紙額はじゆうぶんな額である。

以上のとおり述べ、証拠として、甲第一三ないし第二四号証を提出し、当審における証人佐藤信平の第一、二回証言を援用し、乙第一八号証の一、二が真正にできたこと、同第一九号証の一ないし五の各原本が存在しそれが真正にできたものであることを認めた。

被控訴人指定代理人は次のとおり答弁した。

(一)  控訴人の訴の変更には異議がある。すなわち、旧訴の訴訟物は控訴人主張の字小白森一番という土地の所有権の存否だけであつたのに、新訴は地盤とは別箇独立の権利関係の対象となる地上の竹木の所有権にもとづく引渡請求権または右所有権の侵害によつて発生した損害賠償債権の存否を訴訟物とするものであり、新訴と旧訴とは請求の基礎を異にするばかりでなく、新訴の当否を判断するためにはさらに右竹木所有権の存否、竹木処分についての故意過失の有無、損害額の当否等を長い期間をかけて審理しなければならず、新訴の提起は訴訟手続を著るしく遅延させることになるのであるから、この訴の変更は許されない。

(二)  控訴人は訴の変更に伴ない、新しい請求の訴訟物価額に相応する印紙を増貼すべきである。

(三)  控訴人主張の(一)の事実のうち、被控訴人が控訴人主張のとおり林班を改ためたことは認めるが、その余の事実は否認する。被控訴人は行政裁判所の判決にもとつき字小白森一番を旧湯本村に引渡すに当り、その境界については同村当局の指示するところに従つて引渡しを終つた。右地域の東の境界についてもそのとおりであつて、被控訴人がかつてに大字界を変更したような事実はない。控訴人の誤解を招いた点について一言する。被控訴人が国有林野を管理するに必要な基本図を作成するためその境界を査定し測量を実施するに当つては、市町村以上の行政区界については地元市町村吏員の立会を求めたうえ査定し測量をするが、大字界についてはそのような者の立会を求めないで境界査定をし測量をしてよいことに法規上なつていた。本件係争地周辺についても、明治四〇年に基本図を作成するに当つては地元の者の立会を求めないで境界査定をし測量をしたため、でき上つた基本図は、旧湯本村大字湯本と同村大字田良屋との大字界を誤まつて示すものになつてしまつた。被控訴人が前示行政裁判所判決にもとづき字小白森一番の土地を引渡す際に地元旧湯本村当局者の立会を求めた結果右のまちがいを発見したので、改ためて境界を査定し測量のし直しをし、旧湯本村当局者の指示するところに従つて訂正したのである。控訴人主張の地域は字小白森一番に該当しないから、右地域について土地所有権移転登記手続の履行と、土地および地上の竹木の引渡しとを求める控訴人の請求は失当である。

(四)  控訴人主張の(二)の事実のうち、被控訴人が控訴人主張の頃別表のとおり竹木や土地の一部を処分したことは認めるが、その余の事実は否認する。右は、被控訴人が国有林の土地の一部や地上の竹木を処分したものであつて、不法行為呼ばわりされるいわれはない。

以上のとおり述べ、証拠として、乙第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし五(ただしいずれも写をもつて)を提出し、「甲第一三ないし第一五号証、第一九、二〇号証、第二三号証、第二四号証が真正にできたこと(ただし第二三号証については真正にできた原本が存在すること)は認める。甲第一六ないし第一八号証(第一八号証は確定日付の都分を除く)、第二一、二二号証が真正にできたかどうかは知らない。甲第一八号証のうち公証人高井麻太郎の確定日付の部分が真正にできたことは認める。」と述べた。

理由

訴の変更およびそれに伴う貼用印紙額の点について。

原審において、控訴人は、旧湯本村大字湯本字小白森一番山林につきその地盤および地上の竹木の所有権を主張し、被控訴人に対し、ただ所有権の確認だけを求めていたものであることは記録上明らかである。控訴審において控訴人が新らしく提起した請求の一つは、同じ所有権にもとづいて所有権移転登録手続への協力と地盤および地上の竹木の引渡しとを求める請求であるから、旧訴と新訴とは請求の基礎を同じくするものであることはいうまでもない。いま一つの新しい請求について控訴人のいうところは、控訴人の所有に帰すべき竹木および土地の一部が、すでに本訴提起以前から被控訴人によつてかつてに処分され損害が発生していたのに、控訴人としてはその事実を知らなかつたため、被控訴人に対し損害賠償の請求をするに至らなかつたが、本訴進行中に右事実を発見したので、処分された竹木等の引渡しに代えて、不法行為にもとづく損害賠償の請求をするというのであるから、この場合においてもまた旧訴と新訴との間には請求の基礎に変更はないといわなければならない。そして、この訴の変更によつて著るしく訴訟手続が遅延するとも認められない(なお、控訴人は、新訴の当否について判断を受けるには、すでに終了した証拠調の結果だけでじゆうぶんであるともいつている)。したがつて、右訴の変更は許されるものである。

また、本件の場合、控訴人は、もと字小白森一番の地盤とその地上の竹木とを一体として訴訟の目的物としてきたのであり、新訴は訴訟の進展に伴い、すでに主たる請求の訴訟物のうちに観念的に包含されていた係争土地の天然果実と見るべき竹木そのもの、またはこれに代わる損害賠償の請求を訴訟の附帯の目的としたものであると解することができるから、その価額を訴額に算入する必要はないというべきである。なお、主たる請求の訴額について貼用ずみの印紙額が不相当であることを認めるに足りる特段の資料もない。したがつて、印紙を増貼すべきであるという被控訴人の主張は採用することができない。

つぎに主たる請求の当否について。

福島県岩瀬郡天栄村(旧湯本村)大字湯本小白森一番二、八八三町六反歩と表示された土地はもと国有林であつたが、旧湯本村が被控訴人を相手どつて行政裁判所に提起した官有林下戻の訴(明治三七年第一、二五四号事件)につき同裁判所が昭和一二年一二月一八日に宣告した右土地の下戻しを命ずる判決によつて、旧湯本村がその所有権を取得したこと、昭和一三年六月六日右判決の命ずるところの履行として被控訴人から旧湯本村に控訴人がにおいて字小白森一番のうちにあると主張する地域外にあつてこれと隣接する一七三町歩の土地が引渡されたことは、当事者間に争いがない。

ところで、国有土地森林原野下戻法にもとづく下戻しによつて取得する土地所有権は、創設的なものであつて、かつてその者に属していた所有権を回復するという性質のものではない。したがつて、本訴請求の当否を判断するについて唯一の拠りどころとなるものは、前記行政訴訟の判決によつて旧湯本村に下戻されたものはどれだけの範囲の土地であるかということだけであつて、控訴人の請求する地域がかつて旧湯本村の所有であつたかどうかということではない。一たび行政裁判所の判決が宣告された以上は、証拠によつて右判決の示す判断を左右することができないことはいうまでもない。そして、行政裁判所判決においても、その主文に包含される判断についてのみ既判力を有するものであり、その範囲は判決書に記載された事実および理由を参照してこれを明確にすべきものであるから、次に、右行政裁判所の判決がその主文において被控訴人に対し旧湯本村に下戻すべきことを命じた「福島県岩瀬郡湯本村大字湯本字小白森一番国有林二、八八三町六反歩」は現実にどの範囲の土地を指し、それが控訴人の主張する地域の土地に該当するかどうかを、右判決書の事実および理由を検討して判断しなけばならない。

真正にできたことに争いのない甲第一号証(行政裁判所の前記判決)、同第八号証の一(右判決の理由中に引用されているこの事件について作られた検証調書)、同第八号証の二(乙第六号証と同じで、同じく検証図)と弁論の全趣旨とを合わせ、右主文に包含するところを合理的に解釈すると、次のとおり認められる。

行政裁判所は旧湯本村の下戻し請求の当否を判断するに当り、第一段として、((イ))、旧湯本村が証拠として提出したいくつかの書面の中に河内山(または川内山、河内川山)と記載されている地域は旧湯本村の「村山」と呼ばれていた地域であること、((ロ))、さらに右河内山のうち旧字大川崕通(または大川涯通)、萱輪沢(または萱和沢)、アカニ沢入までの地域については、嘉永四年中に旧湯本村が右地域に主たる産物であつたものと認められる自然生の槙を代金七〇両で松川村の治郎作という者に売却した事実があることを認定したうえ、旧湯本村がその訴訟で下戻しを求めている字小白森一番外一一字のうちに右((ロ))の地域に明らかに符合するものがあればそれは地租改正当時まで旧湯本村の所有であつたであろうと推論するのが正当であるとし、第二段として、同裁判所評定官阿部文二郎が実施した現地検証の調査(この検証は右評定官が当事者双方の訴訟代理人、旧湯本村代表者村長星十郎立会の下に実施したものであるが、その検証調書に添付された検証図は、当事者双方が検証の基本図とすることに同意した参謀本部陸地測量部作成の地図を一二、〇〇〇分の一に拡大したものであつて、その図上には当事者間に争いのないその当事の字の名称、位置、範囲等を表示してあり、また検証調書そのものには、右評定官が訴訟の証拠資料に現われる旧字の名称、位置、範囲と検証当時の字の名称、位置、範囲との異同について当事者双方にただした結果を見やすく整理した「該当認否一覧表」までついている)に出ている、(イ)前記旧字のうち大川崕通および萱輪沢は検証当時の字上河内のうちのデトミノワ沢と呼ばれている地域に該当することは当事者間に争いがないこと、((ロ))、旧字アカニ沢入は検証当時の字小白森の全部と字東平の少なくとも一部を含むことは当事者間に争いがないことを採用したうえ、けつきよく、旧湯本村の請求地のうちでは字小白森一番(小白森の地番は一番だけであることは被控訴人の明らかに争わないところである)だけがその位置、範囲について当事者間に争いがなく、前記((ロ))の地域に符合することが明らかであり、したがつて旧湯本村がこれを所有していた事実を認めることができるが、旧湯本村のその他の請求地が前記((ロ))の地域に符合することは認められないとして、旧湯本村の請求中字小白森一番に対する分だけを認容した。以上がその主文に包含される裁判の内容である。もつとも、右判決文はその表現に幾分不じゆうぶんな点があつたために、控訴人ら一部利害関係人の誤解を招き、控訴人が、その主張で明らかにしているような解釈をする結果とはなつたが、正しい解釈は右に説明したとおりであつて、控訴人の見解は判決文の文脉を正しく追わずそこに現われた文言を自分に有利なように結び付けて作り上げた結果による誤まつた解釈であることが明らかである。字小白森がその範囲内に同時に他の字である上河内(旧字大川崕通、萱輪沢の地域を含む)や東平(旧字アカニ沢入の一部を含む)の一部の地域を含むなどということは理屈に合わないことである。すなわち、この行政裁判所の判決によつて旧湯本村が下戻しを受けて所有権を取得した土地は、旧湯本村が右訴訟において下戻しを請求した一二の字地(小白森のほかにこれと境を接する東平、境を接しない上河内等の地域を含む)のうち小白森一番だけであり、その位置および範囲は少なくとも右判決当事は当事者間に争いがなかつたものである。

なお、原審における証人星重左衛門、同小山治右衛門、同佐藤恵雄、同神田弘の各証言を合わせ考えると、行政裁判所の前記検証においては村長、助役、各部落委員や地元の古老の意見を広く徴した上で当時の字の名称、位置および範囲を検証図上に表示したものであることが認められ、また前記甲第八号証の二(乙第六号証)によると、検証図上に表示された字の境界線は、主として尾根筋、各筋の線により、また、山陵の頂点と沢の分岐点を結ぶ線によるなど自然の地形にそう合理的なものであることもうかがわれるのであり、これらの事実はさきの認定が正しいことの裏付けとなるものである。原審および当審(第一、二回)における証人佐藤信平、原審における証人星実の各証言のうちには右認定に反するような部分もないではないが、これは、その供述自体に首尾一貫しないものがあることなどに徴して、採用することができない。他に以上の認定をくつがえすに足りる証拠はない。

次に、以上認定の事実に、理由のはじめに説明した当事者間に争いのない事実、真正にできたことに争いのない甲第六号証の一、乙第一三号証と原審における証人星重左衛門、同小山治右衛門の各証言とを合わせ考えると、字小白森一番の地域は実測反別一七三町歩であり、昭和一三年六月六日にその全部が被控訴人から旧湯本村に引渡ずみであることが認められる。原審および当審(第一、二回)における証人佐藤信平、原審における証人星実、同佐藤信之の各証言のうち右認定に反する部分は採用しない。もつとも、前記甲第一号証はじめ、同第六号証の一(ただし地籍訂正前の分)、乙第一三号証(同上)、真正にできたことに争いのない甲第二ないし第五号証、同第一一号証、同第一五号証、乙第一ないし第三号証、同第四号証の三、同第一二号証、同第一四、一五号証、同第一七号証等多くの書面(この中には公文書も多い)には字小白森一番の地籍を二、八八三町六反歩と表示した記載がある。けれども、この面積の表示が実測面積を表わすものではないことは当事者間に争いがなく、前記乙第一ないし第三号証、同第四号証の三、真正にできたことに争いのない乙第五号証の一ないし三、同第一九号証の一ないし三と原審における証人神田弘の証言とを合わせて考えると、「二、八八三町六反歩」という地籍は、前記行政訴訟係属当時国有林野地籍台帳にも字小白森一番の地積として記されていたものであるところ、そのようになつた事情は、右帳簿が作られる以前に作られ実測を経ない凡その見積り反別が地積として記載されていた明治二一年調製の森林地取調書(乙第一号証)、国有林野地籍台帳複本(乙第二号証)要存置林野台帳補助簿(乙第三号証)等のいわゆる旧簿中の記載がそのまま当時の国有林野地籍台帳にひきうつされ、後日必要が生ずるまでは実測による訂正が行われずにいたものであることが、また真正にできたことに争いのない乙第一八号証の一、二によると、国有林野地籍台帳に記載されていたある地番の面積が実測面積より数倍ないし数十倍も広いものになつていたという場合は本件に限つたことではないことが、それぞれ認められ、これらの事実に、原審における証人佐藤信之の証言と弁論の全趣旨とを合わせて考えると、さきに掲げた甲第一号証以下の各書類(ただしすでに説明した分は除く)に字小白森一番の地籍を二、八八三町六反歩と表示してあるのは、旧湯本村当局、地元村民その他一般利害関係人らが前記旧簿や国有林野地籍簿台帳中の表示を漫然と踏襲して記載したに過ぎないことが推認されるから、前記各書類に字小白森一番の地積が二、八八三町六反歩と表示されてあることは、字小白森一番の実測面積は一七三町歩であつてすでに旧湯本村に引渡ずみであるとのさきの認定を妨げるものではない。また、原審における証人星重左衛門、同小山治右衛門の各証言によると、前記引渡しの際に、被控訴人側から出向いた係官と訴訟の結果について期待を裏切られたとする一部地元村民との間に、引渡しをすべき地域の境界について多少の意見のくいちがいがあつたことが認められるけれども、他方右各証人の証言と弁論の全趣旨とによると、同時に、それら異論を唱えた者も、被控訴人側の係官や地元の古老たちに説得されて、内心に不満を蔵しながらも了承し、けつきよくは、前記検証の時以来当事者間において字小白森一番であると合意のあつた区域の土地が、古来字小白森一番二、八八三町六反歩と表示されてきた土地であるとして、境界を明らかにして引渡しが行なわれたという事実が認められるから、さきにあげた地元住民に不満のあつた事実も前認定をくつがえすに足りるものでないことがわかる。

控訴人が本訴において所有権を主張している地域が、被控訴人から旧湯本村に引渡しの済んだ前記地域の外にあることは、控訴人の自認するところである。したがつて、それは旧湯本村に下戻された字小白森一番に属する道理がなく、控訴人の主たる請求は、他の点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきものであること明らかである。

進んで附帯の請求について。

右に認定したとおり、控訴人が所有権を主張する地域は旧湯本村に下戻された事実がないこと明らかである以上、この地域の地上にかつて生育しまた現に生育している竹木について旧湯本村が下戻しの結果として所有権を取得すべき道理がなく、したがつて、右の竹木が旧湯本村の所有であつたことを前提とする控訴人の附帯の請求もまた、他の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 市川四郎 吉田武夫)

別紙<省略>

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